現実世界をあるがままに見るのは難しい

私たちは、映画、ドラマ、アニメ、漫画、小説、絵本などを見ることでなんとなく「良い行いをしていると、いつか必ず良いことが起きるよ。悪い行いをしていると、いつか必ず悪いことが起きるよ」ということを学びます。

なので私たちは常日頃、できるだけ真面目であろうと努力し、できるだけ善人になろうと努力します。

そして、何かストレスが起こる状況があって自分の心が病んできた時も「良い行いをしていると、いつか必ず良いことが起きるよ。悪い行いをしていると、いつか必ず悪いことが起きるよ」という考えがなんとなくあるので、ますます真面目であろうと努力し、善人になろうと努力します。が、それでも状況が改善せず、ついに人は心の病を発症したりするのです。

上の例のように「良い行いをしていると、いつか必ず良いことが起きる。悪い行いをしていると、いつか必ず悪いことが起きる」という考え方でこの世界を捉えること……言い換えるなら「この世界は公正だ」という前提でこの世界を捉えることを「公正世界仮説」と言います。ですが、実は「公正世界仮説」は有名な認知バイアスです。つまり、実際はこの世界は公正ではないのです。「良い行いをしていても、良いことが起きたり悪いことが起きたりする。悪い行いをしていても、良いことが起きたり悪いことが起きたりする」というのが現実の世界なのです。

「この世界は善人であっても幸せになったり不幸になったりするし、悪人であっても幸せになったり不幸になったりする」という風に、改めてより現実世界に近い考え方をすると、私たちが楽しい人生を送るための正しい努力、幸せな人生を送るための正しい努力とは「真面目になろうと努力すること、善人になろうと努力すること」ではなくて「自分の人生を自分でコントロールしようと努力すること」ではないでしょうか。

私たちは「この世界は公正だ」という誤った見方でこの世界を見ていたために、身の回りのストレスや嫌なことに対して「真面目であろうと努力する、善人になろうと努力する」という誤った対処法を行なってしまって心を病んでしまったのです。

上の例のように、私たちが現実世界に対してなんらかの思い込みをしてしまっていること、現実世界を現実世界としてあるがままに見れないことが、私たちの誤った努力や行動につながり、結果的に私たちの生きづらさに繋がってしまっているのではないかと考えたりします。

つまり私たちが生きづらさから逃れるため、楽しい人生や幸福な人生を送るために大事なことは「現実世界を現実世界としてあるがままに見ようと努力すること」ではないでしょうか。

例えばこの文章を読んでいる人の中には「私は自己肯定感が低い」という人もいると思いますが「自己肯定感が低い」のも「現実世界を現実世界としてあるがままに見ることができていない」ことの一つだと思うのです。確かにあなたは人に比べてできないこと、能力が低いことがあるかもしれません。でも、冷静に「現実世界を現実世界としてあるがままに見る」と、あなたにも人と比べてできること、能力が発揮できることがあるのではないでしょうか。

例えばこの文章を読んでいる人の中には「私は能力が低いので幸せになれない」と考えている人もいると思いますが「私は能力が低いので幸せになれない」という考えも「現実世界を現実世界としてあるがままに見ることができていない」ことの一つだと思うのです。例えば世界は広いので、あなたよりも能力が低いのにあなたよりも幸せな人生を送っている人がきっといるはずです。逆に、あなたよりも能力が高いのにあなたよりも不幸な人生を歩んでいる人もきっといるでしょう。つまり、能力の高低はあなたが幸せになれるかなれないかの決定的な要因にはならないのです。

実は「現実世界を現実世界としてあるがままに見る」というのはとても難しいことであり、私たち人類のほとんど誰も「現実世界を現実世界としてあるがままに見る」という能力が無いのではないかと考えたりします。

私たちが生きづらさを感じた時……無力感を感じたり、人生を諦めそうになった時は「そもそも私は現実世界を現実世界としてあるがままに見れているのか」ということを改めて考えてみてください。もしかしたら現実世界を現実世界としてあるがままに見ることができない認知の歪みによって、私たちは間違った努力をしたり、間違った考え方をしているのかもしれません。